『論潮』について
文学研究誌『論潮』は、女性研究者の研究活動を支援するメディアとして創刊されました。紹介に代えて、『論潮』の各号に掲載されている「創刊にあたって」、および中心となって『論潮』を創刊されたました山崎正純先生の「これまでのこと」を引用いたします。
『論潮』への加入を希望される方は、同人規約をご覧の上ronch
○同人一同「創刊にあたって」(『論潮』各号に掲載)
わたしたちは日本近代文学研究の基礎をかつてそれぞれ異なる場で培い、多くの学恩と、またいくばくかの試練とに遭遇しながら、それぞれの研究テーマを手放すことなく歩んできた。決して短くない貴重な時間が流れ去り、そして今わたしたちは、研究・批評の成果を自由に発表する場を手ずから作り上げ、その場を永続的に維持していくことを願うものとしてここに集った。
『論潮』は、そのように切に願われ、異なる来歴を持つ女性たちによって作られた場に与えられた名称である。そこに点された燈火を守り、一人でも多くの好学の人々の手に、わたしたちの研究成果を送り届けることで、人生の前途を文学研究の初心に向けて切り拓いていきたいと思う。
『論潮』の燈火は、わたしたちが人生の途上で出会ういくつかのライフイベントを経てなお、研究する主体としてのポジションを見失わぬための光にほかならないが、この光にわたしたちと同様の思いで手を差し伸べようとする人々のあることを、わたしたちは疑わない。人生の途上で文学研究の道を見失い、踏み迷い、あるいは行く手を阻まれた人々の潰えた夢に、もう一度生命を吹き込みたいとわたしたちは願う。
『論潮』の燈火は、多くの女性研究者の夢の命によって点され続けるに違いない。それを絶やすことは、わたしたちの道ではない。
だがまた、『論潮』に集うものは文学研究の初心に向かい、常にその研究技量を高め、互いに研鑽し、日本近代文学研究の第一線に立つ気概を持つものでなければならない。学問研究というステージに、わたしたちは厳粛さと喜びの豊かな表情をもって立ち続けたいと思う。
同人誌『論潮』の創刊の意義は、いうまでもなく掲載諸論の質の如何にかかわっている。大方のご支援と忌憚のないご批正を頂戴したい。
○山崎正純「これまでのこと」抜粋(『論潮通信』第4号、2011年6月)
創刊に向けて準備を始めた四年前に は、大学院ゼミでの研究成果を発表する雑誌として、学科紀要に準じるかたちでの刊行を提案し、経費の大半を学科予算で賄う皮算用だったのだが見事に当てが外れた。正式な議論に入るはるか手前で不要論が噴出し、当初 のもくろみは断念せざるを得なくなった。既存の学科紀要への挑戦だの分派活動だの、果ては「どうせすぐ潰れる」といった中傷やらもうそれはひどいものであった。
同人雑誌の形になったのは、やむをえざる選択であったとはいえ、そのことで構想の自由度が格段に高まった。院生からの刊行への期待の大きさも支えであった。将来、学籍を離れた後の研究継続の条件として、自由に研究成果を発表できる自分たちの雑誌が欲しいという声は、同人雑誌に方向転換した後も絶えることが無かった。雑誌の名称や発行所の住所から大学の痕跡を一掃する方針を取った。後には引けない形での首途である。
創刊同人も可能な限り広い範囲から募ることにし、創刊の趣旨も鮮明に掲げられるものをと考えた。しかし大学という組織から切れたところで研究誌を標榜し、雑誌を編んで断りなく送りつけ、それが読者に受け入れられるには当時の『論潮』のメンバーは若すぎるように思えた。研究歴も短く、同人誌に書くよりは学会誌投稿がまず必要な過程の途上に多くの同人があった。同人のなかにもそうした意見があったことはたしかで、『論潮』との距離感は同人によって様々だった。暗中に光を模索していた時期である。
『論潮』創刊号は五〇〇部印刷し、完全送付方式で研究者、大学院生に届けられた。二〇〇八年六月である。発行人は押し寄せてくる不安を押し隠しながら、読者からの反応を待った。この創刊号は意外な事に大方の読者に受け入れられた。若い同人が驚異的な力を発揮したからである。大長編文学論あり、長編注釈あり、いきなり連載評論あり、手堅い作品研究あり。どれもが溢れるような力を漲らせていた。